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2023年時点で4歳の息子は生後2ヶ月で急性脳症になり、後遺症が残りました。
当時はとても辛く正直ほとんど覚えていないのですが、障害児育児中の家計管理に関するブログをやっているので我が家の体験談も書けたらなと思い記事にしています。
私自身辛い時期のことは記録に残さないようにしていたため、記事の内容もあいまいになってしまう点はご了承ください。
生後2ヶ月で熱が出て入院
息子が生まれたのは第一子の娘が3歳になる頃であり、早生まれの娘は幼稚園入園も控えている時期でした。
- 出産
- 新生児育児の疲れ
- 里帰り出産で夫や実親と揉めたストレス
- 娘の入園
上記が重なり、毎日とにかく疲れていました。
息子は健康に育っていましたが母乳の需要と供給が合わず、生後2ヶ月までに何度か乳腺炎になったのを覚えています。
胸にしこりができて発熱して少し良くなって、を繰り返していました
息子も寝ない子でずっと泣くため、常に抱っこしていた記憶があります。
そんな息子が生後2ヶ月になってすぐ熱が出てけいれんしたため、夫が夜間救急に連れて行ってくれました。
結果としてけいれんが良くならず、自宅から車で30分弱の大学病院ではなく少し離れた子供病院に搬送されそのまま入院となりました。
NICUにいる息子と突然の入院生活
息子はNICUに入れられ、当時はコロナ禍ではなかったので、私たち夫婦+両家両親が毎日かわるがわるお見舞いする日々でした。
ちなみに、NICUはもちろん一般病棟でも付き添い入院は不要でありがたかったです
悪い方向に考えるとキリがないのと、当時は本当に寝ない息子の相手に疲れていたため、入院中は離れられて少しホッとするなとも感じていました。
なお愛情の薄さは今も変わらず、子供たちについて「可愛いなぁ」「幸せに生きてほしいなぁ」とは思うものの育児や子供の成長に夢中になることはありません。
性格的なものだと思います
付き添い入院がなかったため、2~3日に1度息子に会いに行き母乳パックを届けたり着替えを交換したりする日々でした。
辛かったからかあまり記憶がなく、淡々とこなしていました
退院前に医師から息子の脳の画像を見せられ、視力と知的の部分に後遺症が残る可能性が高いと言われたときはショックでした。
- 自分が障害児の親になるなんて思わなかった
- 一生よだれとか拭いてあげる生活なのかな
- 娘の将来に影響が出ちゃうのかな(結婚とか)
- 私、子供が自立した後はゲームや映画、旅行とか遊びまくりたかったな
こんなことを考えながら、医師の話を聞いた記憶があります。
ここまで読んでくださった人は気付いているかもしれませんが、私は娘にしろ息子にしろ「将来は〇〇大学に入ってほしい」「将来は〇〇の仕事をしてほしい」的な希望が昔から一切ありません。
大きくなって生活する力を身につけて、後は好きに生きてくれればいい、私もそうするから。
こんなことを本気で考えていました。
こういった性格だからこそ、子供に障害が残ると言われ「一生手がかかるじゃん」と思った一方で理想の育児や子供像が壊されるショックも少なかったんだと思います。
退院後はめっちゃ寝る子になる
全盲かもと言われていた息子は入院中に追視もできるようになり、1ヶ月と少しで退院しました。
- お見舞い生活しんどかったから解放される
- これからは私が24時間365日息子を見るのか
将来のことは考えても仕方ないと言い聞かせ、日々の生活のことだけを考えていました。
ただ入院生活から帰ってきた息子はめちゃくちゃ寝る子になっていました。
病院では抱っこで寝かしつけなんてしてなかったみたいで、下記の流れで朝まで寝てくれて非常に育てやすい子に。
- ミルク飲ませておむつ替える
- ベッドに置く
- 電気を消す
- 部屋から出る
体力的に楽になっただけでなく、後遺症(知的・視力)の有無がわかりにくい赤ちゃん時代は「可愛い」という感情だけで育児ができました。
濃いオレンジ色の薬を1日3回飲ませていたので、色が濃い服ばかり着せていた記憶があります
他には、たまに気持ちが落ち込むときがあり、入院前に息子と行った場所に再び行くのが辛いと感じました
弱視スクリーニングで引っかかり気持ちが一気に落ち込む
生後10ヶ月健診をかかりつけ医で行った際に、弱視スクリーニングを追加で受けたところ息子には斜視および弱視があるとわかりました。
斜視に関しては何となく違和感があったので「やっぱり」とは思いました
- 夫も目が悪く斜視があるため遺伝なのか、急性脳症の後遺症かわからない
- 3歳児健診より早くわかったから、良かった
こんな風に考えようとしたのですが息子の視力が悪いことがわかってから、後遺症について一気に不安になり気持ちが落ち込む日々が続きました。
日中は娘が幼稚園に行った後は涙が止まらなくなり、夜も一人でよく泣いていました
- 「このままだとヤバいのかもしれない」
- 「誰かに私が何をすべきか教えてほしい」
こんな風に考えて地域の子育て支援センターに連絡をしたところ、私の精神状態が不安定なため保健師さんが月1訪問してくれるようになりました。
保健師さんの月1回の訪問は本当にありがたかった
保健師さんの月1回の訪問は、今思い出しても涙が出るくらいありがたかったです。
- ただ話を聞いてくれる
- 息子や娘の発達について相談できる
- 一緒に息子を「可愛いね」と言ってくれる
保健師さんは私が辛い気持ちを話しているときは受け入れてくれ、反対に発達や育児について専門的な知識を求めているときは明確な答えをくれました。
コロナ禍により保健師さんの訪問が終了したのですが、2020年以降は私も大分落ち着いており「もう訪問がなくても大丈夫」「いつか再会することがあったらお礼を伝え、今元気なことを伝えたい」と思っています。
1歳過ぎても歩かない、しゃべらない
保健師さんの月1訪問で私の気持ちは何とか保っていたものの息子の発達は遅く、1歳を過ぎても歩かず喋ることもありませんでした。
歩かないことに不安な気持ちはありましたが、息子は自分の主張が少ない赤ちゃんだったので「歩いてまで行きたい場所がないんだろうな」と思っていました。
保健師さんにも「歩いてから言葉が出るのが一般的だから、様子を見てみましょう」と言われ日々を過ごしていました。
1歳3ヶ月で歩く
1歳3ヶ月頃でようやく数歩歩けるようになりました。
ただ本人も視力の問題があり性格も怖がりなので、部屋で歩く練習をするのみでした。
芝生や砂の感触を嫌がるので、外では常にベビーカーでした
4歳の娘にまだまだ手間がかかったので、ベビーカーでもいいかと思って本人のペースに任せていました。
1歳半健診があり心理相談をすすめられる
歩き始めたものの喋ることはないまま、1歳半健診を迎えてしまいました。
1歳半健診は保健福祉センターで受けるのですが、この日も月1訪問の保健師さんが気にかけてくれてホッとした記憶があります。
1歳半健診では「急性脳症のフォローを病院で受診しているのは知っているけど、不安なら心理相談も受けられますよ」と言われたので、即申し込み。
心理相談は、1ヶ月後に予約できました。
心理相談や神経内科の受診は非常に混雑しているので、親の不安感や困りごとを伝えて早めに予約を入れてもらうのが大切です
保健福祉センターで心理相談を受ける
1歳半健診をきっかけに心理相談を受けられることになったので、保健福祉センターで受けました。
このときも息子の発語はなしです。
初めての心理相談もいつもの保健師さんが付き添ってくれ、本当に助かりました。
心理士さんが息子の様子を見て言ったのは、下記の通り。
- 発語はないものの社会性は高く、周りの人の様子を見ている
- 上の子と関わりはあるが、幼稚園に早く入れることも検討すべき
- 月に1回行っている「発達に不安を抱えている親子の集まり」に参加するのも良い
「幼稚園は年少から」と勝手に思っていたので大変驚きつつ、急いで準備をし、娘が通っている幼稚園の3歳児クラスに入れることにしました。
心理士さんが教えてくれた月1の集まりにも参加し、ママ友はできないものの「みんな大変なんだなぁ」くらいに思えるようになりました。
2歳過ぎくらいから喋る
2歳半で幼稚園に入れることが決定したため「何とか幼稚園入園までに発語を!」と焦っていたところ、2歳過ぎからようやくしゃべり始めました。
最初の言葉は「ばいばい」でした
- 幼稚園入園前に意味のある単語が出たこと
- 娘も年長として同じ幼稚園に通っていること
- 幼稚園の雰囲気が比較的ゆるい
上記を理由に「単語さえ出てれば今はいいや!」「何か不都合があれば退園しよ」くらいに思って息子の幼稚園生活、そして私の日中1人で過ごせる時間がスタートしました。
幼稚園はたまに問題が発生しますが、何とか通えています!
3歳直前で病院がやっている療育をすすめられる
3歳になり言語や指先の発達の遅れが目立ってきたので、受診している神経内科や心理士さんに療育をすすめられました。
私が住んでいる自治体では「療育なら〇〇!」と言われているほど規模が大きい療育施設があるので、紹介状を書いてもらい予約をしました。
療育は半年待ちと言われヤキモキしていたのですが、コロナ禍で体調不良によるキャンセルが増えており、予約して翌日に療育センターの初診を受けられました。
- 家族全員の体調が良かったこと
- 私が在宅フリーランスで融通がきくこと
上記と運の良さに感謝し、療育がスタートしました。
療育で劇的に息子の発育が改善されるわけではありませんが、通うことで私も息子も気持ちが安定しています
4歳直前でメガネ
3歳を過ぎる頃から療育のスタッフや幼稚園の先生には、息子の視力について度々相談や指摘を受けていました。
受診を繰り返すにつれ場所や視力検査にも慣れ、正確な視力を出せるようになったのでついに4歳直前でメガネデビューをしました。
「メガネしてくれるかな?」と不安でしたが、毎日喜んで付けています。
メガネをしてからは明らかに息子の見え方が改善され、療育のパズルやブロックなども上手にできるようになりました。
4歳半で加配
メガネで見え方も改善され、4歳になる頃には意思の疎通もできるようになったものの「全体指示が通りにくい」「色や形の理解が遅れていて制作などで個別の対応が必要」と指摘を受け、加配を付けてもらえることになりました。
SNSでは「加配を断られた」などという投稿を見ることもありますが、息子の幼稚園側から加配を提案してくれ大変助かりました。
今は就学前まで様子見
療育も通い、各科も定期的に受診している息子は結局のところ、現段階では特に治療や追加の受診などすべきことがない状態です。
- 日々の生活で困ったことに対処していく
- 就学前健診に正式に発達検査を受けて就学先を決定する
上記以外は言われておらず、3ヶ月に1度の受診のタイミングで本人の成長具合や困っていることをまとめて質問するのみとなっています。
3ヶ月に1度でグッと成長してくれるときもありますが、成長していないどころか困り事だらけで医師の言葉に落ち込むこともあります。
ただ、生後2ヶ月で急性脳症になり変わってしまった息子と毎日やっていくしかないよな、と受け入れ日々を過ごしている状態です。
なお、息子は年中の2月の時期に就学相談に向け知能検査(田中ビネー)を受け、DQ69と結果が出ました。
急性脳症を防ぐためにできること
急性脳症はインフルエンザや突発性発疹などのウイルス感染が原因で起きる脳障害です。
急性脳症を完全に防ぐ方法はないのが残念ですが、我が家では下記の対策をしています。
予防接種
急性脳症の原因となるウイルスには様々な種類がありますが、インフルエンザなどは予防接種である程度防げます。
予防接種を受けておけば、かかってしまっても重症化を防ぎやすいようです
「熱が出てけいれんが起きるのは防ぎたい」と医師から言われていたので、インフルエンザの予防接種や自費で受けられる予防接種は受けています。
特に近年では、インフルエンザの流行時期がずれるときがありますし、予防接種が品薄になるときもあるので、早めに予約しています。
定期受診を途中でやめない
神経内科のフォローは3ヶ月に1~2回受診する必要があり特に相談すべきことがないときもあるのですが、必ず受診しています。
- 適切なタイミングで医師のフォローを受ける
- 受診を重ね、将来的に障害年金を受け取るために準備をしておく
- 就学・就職に向けた情報収集をしておく
地域の医師が就学相談の担当をしていることもあるので、きちんと受診していると希望の就学先に決まりやすいとも言われたことがあります
上の子の予定や仕事の調整が大変だと思うときもありますが、今後も頑張って受診を続けます。
けいれんが起きたときの対応を理解しておく
子供のけいれんは急性脳症だけでなく、それほど重症化しにくい熱性けいれんもあります。
そのため、子供がけいれんしたときの対処法や対応フローを両親が理解しておくことが大切です。
我が家の場合は医師に相談したところ「熱性けいれんかも?」と受診をためらう必要はなく、熱が出た段階で夜間救急でも受診すべきと言われています。
幼稚園でけいれんが起きた場合も幼稚園の先生が判断するのは難しいため「救急車を呼びかかりつけの神経内科に搬送してもらう」と共有しています。
地域に夜間救急の担当病院が複数ある場合は、一度受診をしておきカルテを作成してもらっておくと治療をスムーズに進めやすいとも言われました。
【まとめ】心配なことも多いけど今は毎日楽しいです
記憶を整理し写真や録画データを見直しながら、当時のことを振り返ってみて涙が出るときもありました。
思い出すのも苦しいな、と思う記憶ですし、「何で息子がこんな目に」と思ってしまうときもあります。
それでも今は我が家なりに毎日楽しいですし、定型発達の子を2人育てていたとしても何らかの苦労があったはずです。
これから辛い気持ちになることもあると思いますが、これからも毎日できるだけ楽しく家族みんなで生きていくことが私の理想です。
読んでいただき、ありがとうございました。